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第1章 年の離れた従兄 第4話

Auteur: 花宮守
last update Dernière mise à jour: 2025-02-09 17:40:49

 退院するまで、ついにほかの親族と会うことはなかった。

 別荘へ移ったのは、六月中旬のよく晴れた日。それまでは梅雨らしく、雨が降り続いていた。

 時間がかかるからと、私が横になれる車が用意され、運転手は晧司さんの古い知り合いだという男性が務めた。春日雷斗と名乗った四十歳くらいの彼は、どこか、時代劇で殿様にお仕えする忍びのように思えた。晧司さんは、「当たらずといえども遠からず、だな」と笑った。

 途中、何度か休憩を入れながらたどり着いた山中。開けた場所に広がる広大な湖。そのほとりに佇む瀟洒な建物は、初めて見るのにどこか懐かしく感じた。

 出迎えてくれたのは、私と同じくらいの年頃の、きりっとした雰囲気の女性。名前は明吉七華さんで、第一印象はくノ一。近寄りがたい美貌の持ち主だけど、私には親しみ深く笑いかけ、自己紹介をしてくれた。彼女は春日さんとともに、晧司さんに深く一礼し、私たちと入れ替わりに車に乗り、去っていった。

「さて」

 晧司さんは、私をさっと抱き上げた。荷物はすでに、中へ運び込まれている。

「疲れただろう」

「少し……でも、大丈夫です」

 完全に、周りに誰もいない状態で彼と二人きり。病院は病室の外へ出れば大勢の人が働いていたし、ほとんど会わなかったけれどほかの患者さんもいた。毎日優しく励ましてくれたお医者様も。

 ――今、本当に晧司さんと私だけなんだ。

 わかりきっていた事実。開放的な外の世界へと出てきたのに、私は新たに閉じ込められようとしている。そんな考えが頭をよぎったけれど、彼の深い笑みに狂気や暗さは全く混じっていない。この人を信じる。信じたい。祈るような気持ちで、彼の肩につかまった。

 舗装されていない道路から玄関までは、なだらかなスロープ。七華さんが半分開けておいてくれた扉の中へと足を踏み入れた彼は、甘い声で囁いた。

「ようこそ、お姫様」

 お、お姫様って。

 咄嗟に返す言葉が出てこなくて、訳もなく恥ずかしさが込み上げる。彼はクスッと笑って私を静かに下ろし、上がり框に腰掛けさせた。病室で履かせてくれた靴を、今度は脱がせていく。

「あの……自分で、脱げます」

「わかっているよ。だが君は、この城の女主人だからね。かしずく者には素直に甘えているといい」

 お姫様ごっこを続けるつもりらしい。彼の仕草には、従兄としての優しさだけでなく、恭しさもこもっている。

「晧司さんて、前から私をこんなに甘やかしていたんですか」

 そう、彼は私を正しく導き、支えながらも、尋常ではないほど甘やかす。心配しすぎた反動だろうか。入院中、お医者様や看護師さんにこっそり漏らすと、「嬉しいんですよ」と温かく微笑まれた。

「自覚はないが……君がそう感じるなら、そうかもしれない」

 自分の靴も脱ぎ、再び私を抱えると、彼はとろけるような笑顔を見せた。ちょっぴり照れているみたい。少し自覚した方がいいと思うけど……今言っても無駄かもしれない。仕方ないなあ、と言いたい気持ちは顔に出ていたらしく、彼はますます幸せそうに笑った。

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     ふぅ、と息を吐いた彼は、また体の向きを変えて天井を仰いだ。まだ私の顔を見るのが辛いのか、腕で半分顔を隠している。 「わかった……」  ガラガラの声は、しゃべらせるのがかわいそうになってくる。風邪かもしれない。薬を探して、見つからなかったら春日さんに聞いてみよう。 「すぐ戻りますね」  まずはスープと温かいお茶を持ってこようと、ベッドを離れる私を、「待ってくれ」と引き止めた。 「では……別の頼みだ。こういう時に効くドリンクがあるから、作ってくれないか。レシピは私の書斎の引出しに入っている。上から三番目だ。……これで、鍵が開くから」  貴重品入れから取り出したキーホルダーの中から、一番小さな鍵を示す。 「わかりました」  頼ってくれたのが嬉しくて、廊下を隔てて隣り合っている書斎へと急いだ。 上から三番目の引出しを開けると、ノートが入っていた。ほかにレシピらしきものはないから、これに違いない。開くと、ほとんどのページに新聞の切抜きが貼ってあった。内容は、様々なお料理の作り方。   大きなショッキングピンクの付箋を立てたページがあり、開いてみると、二日酔いに効くドリンクの作り方が書かれていた。何かの物語に出てきたレシピを書き抜いたものらしい。ワープロ打ちをしたものを、プリントアウトして貼ってある。白い紙の余白からノートの罫線まではみ出して書かれているのは、晧司さんの字だった。 『……を足すのはどうだろう?』  何を足すのかは、字がほとんど消えていて読めない。字の横に書かれた三角は、却下ではないけど即採用でもない、という意味に見える。  ――いいんだけどね。もう少し、こう、味がまろやかにならないものかな。  ――良薬口に苦し、ですよ。 「あれ……?」  ふっと浮かんだ会話。晧司さんと……私? 「想像しただけ……だよね」  ショッキングピンクの付箋は、晧司さんの寝室の、机の上にあったのと同じ種類だろう。とすると……。  思案しながら引出しに手をかけると、手前に傾き、奥からコロンと転がってくるものがあった。金の指輪――。

  • 愛は星影に抱かれて   第2章 光と影の間で 第22話

     目が覚めたのはお昼過ぎ。体もベッドも綺麗になっていた。光が眩しい。カーテンを開けると、台風は通り過ぎていた。乱暴な洗濯機の中に放り込まれていたような世界は、すっかり洗われて輝いている。  何も着ないでベッドから出た私の体には、晧司さんに愛された赤い痕。そこに触れただけで、熱い瞬間がよみがえる。お腹の奥に残る充実感。 「なぜ……」  疼く胸は、私が忘れた答えを知っている。昨夜、私は晧司さんのもので、晧司さんも……私のものだった。決定的な言葉はなかったけど……。  カーテンを握りしめて嵐の夜を反芻していると、どんどんいけない気持ちになっていく。振り切るように、シャワーを浴びにいった。 怠い体を励ましてリビングへ行くと、晧司さんの姿はなかった。情事の名残は拭い去られている。部屋の様子は、昨夜私が帰ってきた時とあまり変わらない。 「まだ起きてない……?」  彼の寝室は、私の部屋の隣。静まり返っていたから、もう起きているものだと思っていた。引き返して寝室の前まで行くと、中から扉が開いた。重い足取り。前髪が乱れ、顔色の悪い晧司さんが、私を見て瞳を揺らした。素肌に夏のガウンを纏っている。 「リン、昨夜は……」  声もひどい。体がふらついて、私の方へぐらりと倒れそうになったのを、壁に寄りかかってかろうじて支えている始末。 「二日酔いですね……」 「そんなことはいい。昨夜はすまなかった。私は君に……ゴホッ」 「『そんなこと』じゃありません。ベッドに戻ってください。私につかまって」  頭痛に障らないように声を落とし、彼を寝かせて窓を開けた。 「少し、空気を入れ替えますね。冷製のスープがあるから、持ってきましょうか?」 「うん……それもいいが、頼みがある」 「何でも言ってください」 「春日を呼んで、君はこの部屋には近付かないことだ。無理に私の世話を焼く必要はないんだよ」 「春日さんですか? 明日みえますけど、その前にお仕事のお話があるなら……」 「そうじゃない。こんな男に関わってはいけないと言っているんだ」  私に向けた背中は、反対のことを訴えている。リン、行かないでくれ――っ

  • 愛は星影に抱かれて   第2章 光と影の間で 第21話*

     頭も心も、とろかされていく。晧司さんの冷たい炎は、私に火をつけ、彼自身をも高めていく。「んっ……あ、あ……そこっ……」「リン、いい子だ……何度でも、ほら……」 いつ終わるとも知れない、途切れることのない執拗な行為。服を着たままの彼に後ろから抱きかかえられ、ソファーが時々きしむ音と、絶え間ない水音が羞恥を煽る。もう何度達したかわからない。煌々と明かりの灯るリビングで、私だけが生まれたままの姿で……。外は雷雨。行為が始まった時から遠くで轟いていた雷鳴。今は、私のあられもない姿を知らしめるかのように、連続して稲妻が閃いている。「晧司さん……晧司さん……」 気持ちがよすぎて、けれど状況に混乱して、掠れた声で名前を呼ぶことしかできない。彼はとろとろになった私を食べてしまいそうなくらい、頬に、耳に、肩に、熱い唇を押し付けてくる。汗といろいろなものが彼の服を濡らしていく。顔が見たくて後ろを向いた時、目が合って胸を衝かれた。何て切ない瞳――。「その目はいけないな。まったく君は……」「あっ……待って、晧司さんっ」 抵抗する間もなく、ソファーに仰向けに寝かされた。繰り返されたオーガズムで力が抜けていたせいもある。それまで頑なに服を脱がなかったのが嘘のように、下半身を露わにした彼は、いつも「おはよう」と言う時の顔で優しく笑った。反射的に気が緩み、次の瞬間にはもう、圧倒的な質量の侵入を許してしまっていた。 痛くはない。不快でもない。でも、心が追いつかない。体は悦んでいる。これを待っていたのだと……これが欲しかったのだと、奥へ奥へと彼を受け入れる。呼吸を乱して一糸纏わぬ姿となった彼は、私を宥めながら突き、擦り、揺さぶった。叩きつける雨の音を聞きながら、激情の波に攫われていく。 動きが制約されることに焦れてくると、晧司さんはつながったまま私を抱え上げ、私のベッド

  • 愛は星影に抱かれて   第2章 光と影の間で 第20話*

    「晧司さん……?」 「お帰り、リン」 「起きてた……?」 「かわいい気配と、石鹸の香りでね」  髪を弄ぶ指にドキッとした。腰を抱く大きな手も、夕李との行為を連想させる。 「ん? 今日はどんな悪いことをしたんだ? 言ってごらん」  耳を食べられてしまいそうな囁き方……背骨をすーっと撫で上げる触れ方……頭のてっぺんから足の爪先まで、ゾクゾクと電流が走る。  ――この感じ、知ってる! 「リン、答えるんだ」  髪をよける手つきも、私を射竦める目も、優しい従兄のものではない。男の人のもの。酔っているから? 寝ぼけて、昔の私と話しているつもりかもしれないし……何だか、怖い……。 「ンッ……」  腰から下の形を確かめるように丸く撫でられて、甘い声が漏れた。 「ほぅ……情熱的だ。さすが、若いな」 「え? ……あっ」  髪で隠していたキスマーク。晧司さんは、寝間着の襟から覗くそれに爪を立てた。 「ん、んっ」  局所的な鋭い痛みが、体の奥まで浸透する。いやがっていないどころか悦びさえも感じる自分に、戦慄を覚えた。体を反転させられ、彼がのしかかってきた。「よく見せなさい」とほかのキスマークに噛みつかれ、体中を点検するように脱がされていく。彼の肌の温もりに、泣きたくなった。 「はぁ、あ、ん……」 「もっと声を出して……素直になりなさい」  素直に、って……。夕李が付けた痕を上書きされ、背中も太腿も点検されて……足の指の一本一本まで、「私のものだ」と教え込むかのような念入りな愛撫。どっと溢れる愛液。濡れそぼった秘所を、晧司さんは異様な目で見つめた。 「や……恥ずかしい」 「許したのか? ここを」  氷のように冷たい声。思い切り首を横に振った。 「確かめなくてはな……」  侵入してきた指を、私の体は拒まなかった。

  • 愛は星影に抱かれて   第2章 光と影の間で 第19話

     ラグにぺたんと座り、ソファーの縁に手をかけて呟いた。あなたはこの世の何より私を大事にしてくれるけど、私たちはただの従兄妹同士。夕李は私を愛してくれていて、私も心が動いたはずなのに、受け入れることができなかった。二人とも悲しそうで、それは確かに私のせいなんだ。「どうすればいいっていうの……」 起きてよ。教えてよ、晧司さん。あなたは全部知っているんでしょう。知識だけで構わない。経験として思い出せなくてもいい。今すぐ、知りたい。「り、ん……」 ハッと顔を上げると、彼は安心しきった笑みを浮かべていた。夢を見てる。今ではない、以前の私の夢だ。晧司さんのことを、たくさん知っていた頃の私――。 たまらなくなって立ち上がり、自分の部屋へと逃げ込んだ。 私の部屋は、奥のドアから専用のお風呂場へ行ける。すっきりしない気持ちを洗い流したくて、シャワーを浴びた。洗面所にもなっている脱衣所の鏡を覗くと、何をしてきたのか一目でわかる痕がいくつも付いていた。夏のワンピースタイプの寝間着では隠し切れない。髪を垂らしてごまかした。「晧司さん、大丈夫かな……」 さっぱりとした体で考えれば、自分の子供じみた振る舞いが恥ずかしくなる。悲しんでみても始まらない。デートが失敗したのは、私の心の準備が足りなかったせい。夕李は、待つと言ってくれた。今夜のことで、お互いに悪感情を抱いたわけでもない。 晧司さんの方は、妹の初デートで気を揉む兄のような気持ちだったのかもしれない。あれだけ過保護なんだもの、考えすぎてしまう前にお酒に逃げることは十分に考えられる。説明のつかないことが多いにしても、目の前の情報を的確に読み取る努力はできる。私が彼の立場でも、居ても立っても居られないだろう。 八月といっても、この辺りは朝晩の気温が低い。あのままでは風邪を引いてしまう。気になって見に行くと、体勢を変えることなく眠っていた。引き続きいい夢を見ているのか、表情は穏やか。ぐちゃぐちゃだった私の心も静まっていく。「リン……そっちへ行ってはいけないよ……リン&

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